ワイルドカーターとは何者か?そして戦争とは?

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私は一番最初に「作法」を心得るべきだと言った。

その話は終わってはいない。しかしその話をする前にどうしても離さなくてはいけないことがある。それがワイルドカーターについである。

ベトナム戦争の時だったと思う。ジョンレノンが浮かれながらモグモグと口にだした言葉がワイルドカーターだった。

正確にいうとベトナム戦争の映像をテレビで見ながら、その後私がそのまま寝て、夢のなかのジョンレノンがモグモグと口に出した言葉がワイルドカーターだった。

私もホッケー歴が長くなってきて、少し心に余裕ができて、

ホッケーのダイナミズムから遠く離れてしまっていたことがあった

私の主観的なスタイルを超えないつまらないホッケーを繰り返した

定石を超えたい。と羽生さんの将棋を見ながら最近は思う。

しかし一番大事なのは「作法」を心得ることである

何をいまさら、とあなたは思うかもしれない

もっとわかりやすいTIPSをくれというかもしれない

しかしそれではホッケーのダイナミズムは体験できない

まるでボスのエスプレッソコーヒーを飲もうとして缶のプルを引っ張ったと同時に全部こぼしてしまうようなものだ。

だから私は世界へ発信する

ホッケーはつまらないものではない

世界で一番暑くなるスポーツなのだ、それを忘れないで欲しい

世界ホッケーと、どんどん焼き

ついでにどんどん焼きもあの時は買ったと思う

どんどん焼きを買った後、目の前には高いアパートがあって、それがあいつの家だった。

ホッケースティックがいっぱい玄関前に積み重ねられていた

どうやら一家家族全員がホッケー選手らしい

すごく珍しいこともあるものだ。

通路に星を何個から並べるようにホッケースティックを並べてみた

その卑しさに居ても立ってもいられなくなった。

しかしなぜ卑しいと思ったのか私は分からない。

となりの女の提案で、もうやめて電車に乗ろうよ、ホッケー見に行こうよという話になった

ついたのは甲子園だった。その日はすごく暑い日で、新聞がいっぱい散らばっていた

注目選手と称して書かれていたあの人の名前はいまいち思い出せない。

たしか週刊文春に誹謗中傷されていた人かと思ったが、よく考えると別の人だった

私と彼と女は甲子園で野球を見て、JRにのって帰ろうと思ったが汽車賃がなかった。

なんでこんなことになったのかと彼に問い詰めたが彼は泣いていた。女も泣いていた

それが私とホッケーについての終戦前だったか終戦後だったか忘れたが、とにかく文壇デビューする前の話だ

世界ホッケーと世界保健機関の枠組が似ているようで千円違うのと同じように、私達ひとりひとりのホッケーに対する思いは違う

けどだからそれこそ良いんじゃないかと思う

わたしたちが別の人間であって、同じ人間ではない。

だからすばらしいと思える。それをホッケーは教えてくれたのだ。

 

日本ホッケー協会に知り合いの娘の友人の友人がいる私からあなたへ

どうやらうわさに聞くところ、私がホッケーに対して何らかの価値判断を明確に下せるであろうと考えている輩がいるらしい。

時代は末期症状を呈しているようだ。

しかしもっとひどいのはホッケー業界でもなく世間の輩でもなく、もっと根本的なところにある

このサイトでは、ホッケーを語りつつ、ホッケーから遠く離れてクリティカルな体験を閲覧者のあなたに届けたい。

まずは「作法」を心得るべきだ

とりあえずホッケースティックを握ってみなさい

しかし握ろうとすると、地球温暖化を研究してきた私としては、どうしても思い出してしまうことがある

それがホッケースティック論争である。

データの改ざんというやつだ。

なにやってんだよ科学アカデミー。しかし私はそんなことに対してここで多くは語らない

ホッケーを強くなるにはどうすればいいのか

どんどんもっとポジティブに考えていこう。

ホッケースティックというのは不思議なもので、いろんなものを思い返すことができる

中学の部活でホッケーを選択する人は少ないと思う。私も野球部だった。しかし心はホッケーにあったと思う。

学校の運動場で休み時間にひとりで壁に向かって野球の練習をしていたことがある。その時、ある男の子が私に言ったのだった

ホッケーぽいよね。 全日本選手権でヘルメットを忘れたホッケー選手ぽい

確かにそうだったと思う。彼と知り合ったのはその時だった。

角の駄菓子屋にいっしょにいった。店長がメグ・ライアンに似ているあのお店。

彼が買ったのはキャベツ太郎

私はテキサスコーンだった。